2002−4−11

 
 往々にして我々は、名刺や肩書きだけで人を評価・判断しがちである。その人の個性や長所、あるいは魅力や才能などを見抜こうとする前に、務めている会社や役職、地位だけで人物評価をしてしまう。「こんな三流会社ならたいしたことないな」、「この年でまだ係長なんか…」という具合だ。正直なもので、そうした概算評価はその後の接遇態度に即表れる。相手が自分よりも一枚上と思えば対等もしくは下手に出るが、相手が格下と判断すれば途端に横柄な態度になり、見下げた物の言い方になる。これは中間管理職にも同様にあてはまることで、部下にはやたらと怒鳴りちらしたり威張りちらしたりするが、ひとたび相手が上司となると、米搗きバッタのようになにを言われてもペコペコする輩がやたらと多いのは世の常。

 が、言えることは、このように相手の肩書きや地位を見て態度を変えるような人間はまず大物にはなれないということだ。仮に出世しても人望がないから、所詮組織を束ねることはできない。また、仮に事業を興してTOPになっても人脈がないから、いざという時に応援してくれる人間がいない。周囲の人間はいずれもイエスマンばかりの米搗きバッタとあれば、肝心な時に何の役にも立たないのだ。

 人と接する時に重要なことは、例えば相手が若く、社会的地位が低い人には、常に相手の目線に合わせて接することである。そうすれば、その人の長所や魅力が次第に見えてくるものだ。一方、そのような接し方をされた人間はどのように思うだろうか。この人は自分の良いところをキチンと見てくれた、評価してくれた、そう感じれば、その相手に対して敬意と尊敬の念を抱くのは当然で、その時からいわゆるその人のファンになる。こうして人望が集まっていくのだ。

 大塚実氏が社内・外を問わず広く人望があり、カリスマ的“大塚ファン”が今なお多いのは、何よりも人との接し方が非常に上手だということであり、相手の短所よりも常に長所を見抜こうとする、その人情性と人間性にあるように思う。

 そんな大塚会長が、人生の一つの指針としている言葉、<将棋の心と碁の心>を紹介しよう。

  
10. 将棋の心と碁の心


 人と人との関係は敬意と心易さとが、程良く調和されて共存しないと長続きしないものだと思います。
 私がかつて父に言い聞かされた言葉に「将棋の心と碁の心」というのがあります。非常に印象深く、今も私の人生の指針の一つになっています。これは自分より下の者とのつき合いは将棋の心で交わり、自分より上の人とのつき合いは碁の心で交われという意味です。

 将棋は下手な人と指す時、飛車抜きとか角落ちとか、相手の力量に御応じて駒を落とします。明らかに腕の相違があるのに駒も落さず、平手で指せば勝敗は歴然で、面白くも何ともありません。何番目に一度かは弱い方でも勝てるようでなくてはならない。平手で指したら勝つに決まっている勝負を、何回やっても勝つ方は兎も角、惨敗につぐ惨敗の方は不愉快極まりないと思う。

 人間関係もこれと同じで、自分より下の者との交際には、自分で心の駒を落して、相手と対等の処で交わるべきだといっているわけです。それをせずに相手を見下して近寄り難かったり、威張り散らかしたのでは、その人達の関係は形ばかりで心の通わない間柄になってしまう。たとえば上司が部下と話し合いをする時に、言い出したら何が何でも自説を押し通すという上司ではいけない。時には自説を引っ込めて、格好は悪くても部下の意見を採用するようではなくては、本当に緊密な間柄にはなれないでしょう。

 この将棋に対して碁は上手な人と打つ時、ニ目とか三目とか先に石を置かせてもらって勝負します。相手が如何に名人上手であっても、力に見合った必要な何目かを置かせてもらえば結構勝負になります。
 人間関係もこれと同じで、自分より上の人との対応には、いたずらに恐れず、自分の心に何目か置いて対すれば、ある意味で、一対一の交際ができると思います。

 将棋や碁と同じように、ある程度、勝負になるようでなければ人間同士の付き合いは長続きしないのではないだろうか。


 将棋の心と碁の心。それはあらゆる人間関係に通ずる、味わい深い言葉だと思うのです。



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2002−5−28

11. <新任管理者の心得>


率先垂範はマネージャーの第一歩。現場密着なくして、適切なアドバイスはできない。
 皆さんはプレィイングマネージャーになったつもりで、まず自分でやってみせる。言葉だけではなく、自分で模範を示すことです。仕事というのはプロセスが大部分であり、結果はその一部であるにすぎません。従って、こうすればこうなる、こうしなければこうなる、という正しい指示ができない者はリーダーにはなれません。


部下の苦言に寛容であれ、口封じしてはいけない。
 部下から耳ざわりなことをいわれると、つい徹底的にやっつけてしまうことがあります。
部下から言われて、「何を」と反撃して発言を封じてしまったら、下のものはもう何も言わなくなります。「風通しを良くする」ということは、悪い話に耳を貸すことです。言える余地を残すことです。こちらからの風はよく通るけれど。向こうからの風が来ないようでは風通しが良いとは言えません。上からも下からも風通しが良くなければいけません。「賢者は愚者に学び、愚者は賢者に学ばず」といいます。部下に教えられることも多いはずです。


部下に金に汚いと思われたら終わりだ。
 公私の区別をはっきりしなければいけません。会議費の使い方が悪い、おかしいと思われたら部下の信頼を失います。


変に上司の顔色ばかり見るのは、部下の軽蔑を買う。


愛の鞭を打てない者にリーダーの資格はない。
 「憎しとて、叩くにあらず笹の雪」です。
部下によく思われようと人気取りばかりしていて、叱るべき時に叱れない者にはリーダーの資格はない。

(平成六年七月、新任管理者研修より)


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